記事作成日:2026年10月5日
別居中の夫が、妻と子どもが暮らしている自宅を、妻に知らせないまま不動産業者に売ってしまった。新しく所有者になった業者からは「家を明け渡してほしい」と求められている——。
このような場面で、自宅に住み続けている妻は、家を出なければならないのでしょうか。東京高等裁判所は令和8年3月19日、不動産業者から妻への明渡し請求を「権利の濫用」にあたるとして認めない判決を言い渡しました。この記事では、判決の内容と、同じような状況にある方に知っておいていただきたい点を解説します。
この記事のポイント
- 不動産業者から妻への明渡し請求は、権利の濫用にあたるとして認められませんでした。
- 明け渡すまでの家賃にあたるお金(賃料相当損害金)の請求も、認められませんでした。
- 自宅を売った夫には、妻に対する110万円の損害賠償が命じられました。
- 一審の横浜地裁は明渡しを認めており、高裁で結論が変わりました。上告と上告受理の申立てがされているため、この判決はまだ確定していません。
図で見る判決の内容
どのような事案だったのか
夫婦は平成15年に結婚し、2人の子どもがいます。夫は自分の名義で土地を買って家を建て、家族で暮らしていました。ところが、夫の不貞が妻に知られたことをきっかけに夫が家を出て、別居が始まります。妻と子どもは、その後も自宅に住み続けていました。
- 平成29年1月夫の不貞が妻に知られ、夫が自宅を出て別居。
- 令和3年12月夫が離婚調停を、妻が婚姻費用(別居中の生活費)の調停を申し立てる。
- 令和4年5月婚姻費用の調停が成立。夫が住宅ローンと子どもの学費を負担していることを踏まえて、月額21万円と決まる。
- 令和4年8月離婚調停は不成立で終了。夫はその後も離婚訴訟を起こさなかった。
- 令和4年12月夫が妻に無断で、自宅を不動産業者に2600万円で売る契約を結ぶ。
- 令和5年10月不動産業者が代金を支払って登記を移し、妻に明渡しを求める。妻は応じなかった。
- 令和5年11月不動産業者が、妻に明渡しを求める訴訟を起こす。
不動産業者は、契約の時点で、この家に妻と中学生の二男が住んでいること、離婚調停が不成立に終わり離婚訴訟も起こされていないことを、夫から聞いていました。売買契約書には、夫が自分の責任で妻を立ち退かせること、それができないときは業者が契約を解除して違約金を請求できることが定められていました。
訴訟で不動産業者は、妻に対し、自宅の明渡しと、明け渡すまで月額約20万8500円の賃料相当損害金の支払いを求めました。これに対して妻は、夫と不動産業者の両方に損害賠償を求める訴訟を起こしました。
一審と高裁で結論が分かれた
| 請求 | 一審 横浜地裁 | 控訴審 東京高裁 |
|---|---|---|
| 業者から妻へ 明渡し | 認める | 認めない 権利の濫用 |
| 業者から妻へ 賃料相当損害金 | 認める | 認めない 権利の濫用 |
| 妻から夫へ 損害賠償 | 認めない | 110万円を 認める |
| 妻から業者へ 損害賠償 | 認めない | 認めない |
家の所有者は、原則として、住む権利を主張できない人に対して明渡しを求めることができます。妻が自宅に住めるのは夫との夫婦関係に基づくもので、家を買い取った第三者に対して主張できる権利ではありません。一審はこの原則どおりに明渡しを認めました。
東京高裁も、妻には不動産業者に対抗できる権利がないことを前提にしています。そのうえで、今回の経緯のもとでは、業者が明渡しを求めること自体が許されないと判断しました。
東京高裁の判断のポイント
夫は、自分では妻に立ち退きを求められない立場だった
別居の原因は夫の不貞にあり、夫からの離婚請求は簡単には認められない状況でした。婚姻関係が続いている以上、妻は自宅に住み続けることができ、夫は妻に立ち退きを求めることができません。東京高裁は、夫が第三者である不動産業者に自宅を売ることで、離婚に向けて妻を立ち退かせようとしたものと認定しました。
夫は、住宅ローンと婚姻費用の負担が重く、売却するしかなかったと主張しました。しかし裁判所は、夫がローンと学費の負担を前提に婚姻費用の調停を成立させていたこと、売却のあとに合計6000万円を超える借入れをして別の土地と建物を取得し、そこに交際相手が住んでいることを指摘して、この主張を退けています。仮に経済的な余裕がなかったとしても、婚姻費用の減額を求める調停で話し合うことができたのであり、妻に無断で自宅を売ることは許されない、というのが裁判所の考え方です。
離婚紛争を知っていた不動産業者には、調べる義務があった
業者の明渡し請求をそのまま認めると、本来は妻に立ち退きを求められない夫が、自宅を売るだけで簡単に目的を達成できることになります。東京高裁は、これを不合理な結果であるとしました。
そして、不動産業者は、住んでいる人に対抗できる権利がないことを確認するだけでは足りず、このような不合理な結果を避けるべき信義則上の義務を負うと述べています。今回の業者は、夫婦の間に離婚の紛争があることを知りながら、夫の離婚請求が認められる見込みがあるのか、夫が明渡しを求める合理的な理由があるのかを十分に調べませんでした。妻に立ち退く意思がないと分かったあとも、契約を解除する道があったのに、代金を支払って登記を移し、訴訟を起こしています。
裁判所は、これを紛争の一方の当事者である夫に加担して利益を得ようとしたものと評価し、明渡し請求は権利の濫用にあたるとしました。業者は契約を解除して夫に代金の返還を求めることができるので、請求を認めなくても不合理とはいえない、とも述べています。
家賃にあたるお金の請求も認められなかった
過去の最高裁判決には、明渡し請求が権利の濫用にあたる場合でも、損害金の請求は認められるとしたものがあります。しかし東京高裁は、今回は妻として無償で住んでいた人が相手であり、損害金の支払いを命じれば、支払えずに結局は家を出ざるを得なくなるとして、賃料相当損害金の請求も権利の濫用にあたると判断しました。
夫には110万円の賠償。不動産業者の賠償責任は否定
夫については、自分では求められない立ち退きを売却によって実現しようとし、妻が自宅に住む権利を不当に脅かしたとして、不法行為の責任が認められました。賠償額は、妻が明渡し訴訟に対応するための弁護士費用にあたる100万円と、損害賠償請求訴訟の弁護士費用10万円の合計110万円です。慰謝料は、業者の請求が退けられ、この賠償を受けることで慰謝されるとして、別には認められませんでした。
不動産業者については、明渡し請求が権利の濫用にあたるという判断がまだ確立した実務とまではいえないことから、訴訟を起こしたことに故意や過失があったとはいえないとして、賠償責任は否定されました。
この判決を読むときの注意点
- 上告と上告受理の申立てがされており、判決は確定していません。最高裁の判断によって結論が変わる可能性があります。
- 個別の事情を踏まえた判断です。別居の原因が夫の不貞にあったこと、離婚が成立しておらず離婚訴訟も起こされていなかったこと、夫の「経済的に苦しい」という主張が認められなかったこと、不動産業者が離婚の紛争と妻の居住を知っていたことが重視されています。事情が異なれば、結論も変わり得ます。
- 「自宅を売られても住み続けられる」と一般的に認めた判決ではありません。妻には買主に対抗できる権利がないことが、判断の前提になっています。
同じような状況にある方へ
自宅に住み続けている方
配偶者が自宅を売ろうとしている、あるいは不動産業者から突然連絡が来たという場合でも、その場で退去を約束したり、書面に署名したりする必要はありません。別居に至った経緯、婚姻費用の取り決め、業者とのやり取りの記録が、その後の対応を左右します。手元に残したうえで、早めに弁護士へご相談ください。
自宅を手放したいと考えている方
住宅ローンと婚姻費用の負担が重いという事情は、珍しいものではありません。ただ、配偶者が住んでいる自宅を無断で売却すると、紛争が大きくなるうえ、今回の夫のように損害賠償を命じられるおそれがあります。婚姻費用の減額を求める調停や、離婚条件の話し合いの中で自宅の扱いを決めていくのが、本来の進め方です。
紹介した裁判例:東京高等裁判所令和8年3月19日判決(令和7年(ネ)第4611号)、判例タイムズ1546号97頁。
この記事は裁判例の紹介を目的とするもので、個別の事案についての結論をお約束するものではありません。
自宅のことでお困りの方へ
別居中の自宅をどうするかは、離婚、婚姻費用、財産分与と結びついた問題です。定禅寺通り法律事務所では、初回のご相談を無料でお受けしています。オンラインでのご相談にも対応しています。
